ササニシキ

ササニシキの歩み

田伝むしのこだわりの大きな柱は「ササニシキ」と「農薬不使用」
この記事ではササニシキの誕生、特徴、これまでの歩みをご紹介します。

ササニシキが生まれたのは昭和38年(1963年)、今から50年以上も前で、
現在の宮城県古川農業試験場で育種されました。
ちなみに宮城県の主力品種の1つ「ひとめぼれ」も同じ場所で誕生し、
古川駅前には「ササニシキ・ひとめぼれ誕生の地」と書かれた看板があります。

品種改良の取り組みが始まった昭和20年代後半は食糧増産の時代で、
小麦の後に稲を育てる二毛作をするため、麦の収穫後の6月に田植えができる品種の育成が行われました。

そこで遅い田植えでも収穫できる「ハツニシキ」と収穫量が多く美味しい「ササシグレ」を掛け合わせた
「ササニシキ」が登場してきました。
ササニシキの名前は両親の名前を合体させた名前なんですね。

その後、二毛作ではなく水稲だけで沢山収穫できる品種が求められたり、
お米の生産過剰になって量よりも美味しさが求められるようになったりしましたが、
ササニシキは当時の品種のなかでは多収であり、なおかつ味が良いということで
時代が変わっても人気があり、全盛期はコシヒカリに次ぐ銘柄米でした。

そんなササニシキの作付面積・生産量がなぜ減ったのか。
イモチ病という病気に弱く、夏の寒さ(冷害)と暑さどちらにも弱い、
また茎が細いので倒れやすく、米の質が落ちてしまう穂発芽をしやすい等、
栽培面で繊細なところがあり作るのが難しいという理由があります。

平成5年(1993年)の記録的な冷夏の年は平成の米騒動と呼ばれるほどお米がとれませんでしたが、
特に深刻な影響が出たのがササニシキであり、その年を境にササニシキではなくひとめぼれなどの
冷害に強く生産者にとってリスクの少ない品種に一気に変わりました。

その後もササニシキの作付面積は減少する一方で、記録が公開されている2010年の全国での作付面積のうち
ササニシキは0.5%しかない希少な品種になってしまいました。現在ではもっと減り、0.3%ほどになっていると
思われます。

希少なお米となったササニシキには根強いファンがいることも確かです。
販売をしていても「ササニシキが好きだけどなかなか見かけない」「ササニシキじゃないとだめだ」
「懐かしいから買ってみよう」など嬉しい言葉を聞くことがあります。

栽培面で弱点が多いように思われるササニシキですが、
農薬や化学肥料を使わず、土とその中の微生物、そして稲が本来持っている力を発揮させる
農薬不使用栽培や無肥料栽培では、生物や環境の多様性が増すことで病気や害虫の大きな被害はあまり見られず、
稲もたくましく育つのでこれまでは順調にお米作りができています。ただし、冷害対策には毎年注意をしています。
肥料を多くやらなくても穂数が確保できるという特徴も農薬・化学肥料不使用栽培には適しています。

栽培が難しいと言われるササニシキもその成長は手の掛け方、環境の整え方で変わってくると思います。
食べて美味しいこと、寿司などササニシキが求められる料理があること、昔ながらの純粋なうるち系品種であること等、
様々な役目があると感じでいるので、これからも農薬不使用ササニシキを作り続けていきます。
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2017-01-12 | Posted in ササニシキNo Comments » 

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